小浜町には海の温泉/小浜温泉と、山の温泉/雲仙温泉の二つの温泉地があり、おばま温泉グループホーム湯之崎はその名の通り小浜温泉の旅館街に位置しています。
2015年現在の当ホームの入居者様は大正元(西暦1912)年生まれ(102歳/平成27年7月現在)の方を最高齢として、昨年後期高齢者になられたばかりの方までいらっしゃいます。
主に島原半島出身の方ですが、中には栄えていた当時の湯治場へ他県から働きに来られ、そのまま小浜町の人になられたという方もいらっしゃいました。結婚して小浜を離れたものの、他県出身のご主人を伴い帰って来られたり、ご主人に先立たれ生まれ故郷のこの町に帰って来られたり、もちろんずっと故郷を離れずご家族様にもすぐに会えるという方もいらっしゃいます。ご家族様の写真に囲まれた各居室を拝見致しますと、入居者様お一人お一人の歴史も一緒にお預かりしている様で、身が引き締まります。
農林漁業の町から温泉観光の街としての発展を遂げたのが昭和四十年代中頃の様です。その後再び浮き沈みの時代を経て現在に至っておりますが、湯治場として栄えたくさんのお客様が訪れていたその昔、長崎と小浜は船が通っていて、今の春陽館という旅館の前に船が着いていた事や、温泉熱利用の製塩業地として知られた頃は、塩田が広がっていてプライベートビーチならぬプライベート塩田が家の前にあった(あくまでも聞き取りした施設長のイメージです)事や、夜の街も賑わいがあり浴衣に下駄の観光客の姿があふれ、よく喧嘩の声が聞こえていたそうであります。今の国道57号線や埋立地はまだなく、今ではシャッターの下りている店も目立つ裏通りがメインストリートだった頃、映画館や競馬場があったとか、通っていた女学校(残念ながら正式な学校名はわかりません)の運動会には近くにあった傷痍軍人さんの温泉療養所からも一緒に参加されていたとか、今となっては信じられない様な話をそれはそれは楽しそうに語られます。今では大きく様変わりしたこの町ですが、入居者様方にとっては昔の下駄のカタカタや“小浜の大火”と呼ばれる大きな火事の出来事などは今でも鮮明に思い出される様で、下駄のカタカタ位までは知っている私にも見えてきそうな程に、それぞれの思い出と共に教えて下さいます。